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春季企画展『鷹場の村々』

最終更新日:2022年3月20日

江戸時代に富士見市域にあった村々は、は、尾張徳川家の藩主が鷹狩りをする「鷹場」となっていました。
当時の古文書や絵図などから、鷹狩りの様子や村々の負担などを紹介します
ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。ポスター(PDF:605KB)

開催概要

日時・会場

会期:令和4年3月19日(土曜日)から6月12日(日曜日)
会場:難波田城資料館 特別展示室(入場無料)
*見学者が多い場合は入場制限することがあります。
*感染症拡大防止のため、マスクの着用や他の見学者への接近回避(ソーシャルディスタンス)などにご協力ください。

関連講演会

「尾張藩鷹場の成立と支配」

講師/蛭田(ひるた) 晶子(あきこ)氏(NPO法人日本(ほう)(よう)協会)
とき/3月19日(土曜日)   午後1時30分~3時
会場/講座室
定員/17人 *定員に達したため、受付を終了しました

展示内容と主な展示資料(一部は写真)

鷹と獲物
鷹狩に用いられた「鷹」(タカ科の数種とハヤブサ科ハヤブサの総称)や、獲物となった鳥や獣を写真で紹介します
江戸時代の鷹狩
江戸時代の、将軍(徳川本家)による鷹狩は、将軍(公方)と庶民が接する機会でもありました。その様子を、絵巻物や浮世絵などで紹介します
尾張藩鷹場と富士見市
江戸時代の富士見市域は、川越藩領や幕府直轄地などに分かれるとともに、尾張藩主が鷹狩をしてよい鷹場にも指定されていました。市域は尾張藩鷹場の北東隅にあたり、範囲を区切る石杭が建てられていました。また、水鳥が集まる荒川・新河岸川流域は良好な狩場であったことから、市域には「鳥見陣屋」や鷹匠も逗留する「水子陣屋」がおかれ、有力な村人が「御鷹場御預御案内」や「郷鳥見」に任命されました。絵図や古文書、石杭により、鷹場や陣屋の姿を紹介します
藩主の鷹狩と村々の負担
鷹場にある村々は、尾張藩主の鷹狩に際しては、さまざまな準備をさせられ、それ以外の時期にも、水鳥が集まりやすいように様々な規制がされていました。古文書などから、そのわずらわしさを確かめます
語り継がれる鷹場
鷹場の制度は明治維新により廃止になり、150年が過ぎました。しかし、地域には今でも、尾張藩主からの拝領品や鷹場にまつわる伝説が残されています。それらを、郷土カルタや写真などで紹介します

展示風景

写真
展示資料保護のため照明は控えめです。

写真
向かって右側は、浮世絵や古絵図に描かれた鷹狩や鷹場の様子を紹介しています。

写真
向かって左側は、地域の古文書から、鷹場の村の負担を紹介しています。

写真
正面奥には、鷹場の境界を示すために建てられた石杭を展示しています。なお、この杭が立っている状態を、常設展示室にレプリカ(複製)で展示しています。

観覧料

無料

展示図録

『鷹場の村々』A4判、24ページカラー。500円
郵送販売をご希望の方は資料館にお問い合わせください

お問い合わせ

難波田城資料館

〒354-0004 埼玉県富士見市大字下南畑568番地1

電話番号:049-253-4664

FAX:049-253-4665

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