このページの先頭です

ページID:371039322

令和3年春季企画展「難波田氏とその時代」について

最終更新日:2021年6月17日

難波田城を拠点としたといわれ、関東の戦国時代に一筋の光芒を放った難波田氏。その成立は承久の乱がきっかけともいわれます。承久の乱(1221 年)から800 年にあたる2021 年、難波田氏の出現、活躍、子孫の活動を、時代背景とともにたどります。

開催概要

日時・会場

会期:令和3年3月23日(火曜日)から6月13日(日曜日)  *開始日が変更になりました
会場:難波田城資料館 特別展示室(入場無料)
*見学者が多い場合は入場制限することがあります。
*感染症拡大防止のため、マスクの着用や他の見学者への接近回避(ソーシャルディスタンス)などにご協力ください。

関連講演会

「戦国時代の難波田氏」

戦国時代研究の第一人者に、難波田氏を語っていただきます。
講師/黒田基樹(もとき)氏(駿河台大学教授。著書多数。「真田丸」時代考証)
   *3月20日に予定していましたが、中止します

「北海道になぜ難波田川があるの?」

明治時代に北海道開拓に活躍した、難波田憲欽(のりよし)(画家・難波田龍起(たつおき)の父親)を紹介していただきます。
講師/山本長春(ひさはる)氏(市民学芸員)
   *4月17日に予定していましたが、中止します

展示内容と主な展示資料(一部は写真)

難波田氏の由来
中近世にまとめられた系図では村山党の金子小太郎高範を難波田氏の祖とするものが多いこと、小太郎高範は鎌倉時代初期に活動したことなどを紹介/武蔵七党系図、吾妻鏡、大型板碑写真
難波田氏の登場
観応の擾乱に伴う羽迩蔵合戦で、はじめて難波田を名字とする武士が記録されたこと、「難波田小三郎」の旧領が鎌倉公方から鶴岡八幡宮に寄進されたことなどを紹介/羽迩蔵合戦関連文書写真、難波田小三郎旧領関連文書写真、14 世紀板碑、宝筐印塔写真
難波田城築城
15 世紀中葉から後葉の文献には難波田氏が登場しないが、15 世紀後半の関東の戦乱状況で難波田城が築かれ始めたことなどを紹介/難波田城跡出土品、15 世紀板碑
難波田氏の躍動
16 世紀初頭に「難波田直経」が北院の所領を管理していたことや、難波田弾正善銀(正直または憲重)が扇谷上杉氏の重臣として活躍したことを紹介。また、扇谷上杉氏滅亡後、上田氏に仕え、小田原の陣で憲次が松山城の守将となったことを紹介/難波田氏関連古文書写真、軍記と北条氏所領役帳(県指定文化財)、南畑八幡神社鰐口(市指定有形文化財)、難波田城跡出土品、松山城跡出土品
難波田氏の系譜と幕末の動乱
江戸時代に、難波田氏の子孫は旗本や加賀藩の家臣となったこと、十玉院主上田氏の分家が一橋家に仕えて「難波田」を名字としたこと、幕末における動きなどを紹介/先祖由緒書き、武鑑、難波田直次郎碑写真、彰義隊士身上書上、興禅寺地蔵像写真
活躍する子孫達
北海道に「難波田川」の地名を残した憲欽・画家の龍起・史男の3 代、経済学者の難波田春夫、難波田一族の会などを紹介/肖像写真、難波田川写真、絵画、著作、一族の会活動記録など

観覧料

無料

展示図録

『難波田氏とその時代』A4判、24ページカラー。400円
*売り切れていましたが、増刷し、販売を再開しました。

お問い合わせ

難波田城資料館

〒354-0004 埼玉県富士見市大字下南畑568番地1

電話番号:049-253-4664

FAX:049-253-4665

このページのお問い合わせ先にメールを送る