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「かみしばい 水子貝塚物語(みずこかいづかものがたり)」

最終更新日:2019年1月25日

かみしばい「水子貝塚物語」
「みずこかいづかものがたり」

水子ファミリー

かみしばいはぜんぶで10枚(まい)です。モリとカヤが縄文時代(じょうもんじだい)にタイムスリップ。絵(え)は鈴木治子(すずきはるこ)さんが水子貝塚(みずこかいづか)をイメージして描(か)きました。クリックすると拡大(かくだい)できます。プリントして利用(りよう)もできます。

ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。貝ひろい(画像:3,034KB)
貝(かい)ひろい
春(はる)のころです。モリとカヤは遠浅(とおあさ)の続(つづ)く水子(みずこ)の海(うみ)に潮干狩(しおひが)りに出(で)ました。ここではヤマトシジミ・ハマグリなどが取(と)れ、カキもとりに行(い)きます。さっそく土器(どき)でお湯(ゆ)をわかし、とれた貝(かい)を入れます。すぐに貝の口(くち)が開(ひら)き食(た)べることができました。たくさんとれたら貝を天日干(てんぴぼ)しにして、保存食(ほぞんしょく)や他(ほか)のムラとの交換品(こうかんひん)にしました。水子縄文(じょうもん)ムラにとって、春(はる)は、一年(いちねん)の中(なか)で最(もっとも)も忙(いそが)しい季節(きせつ)です。

ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。海での漁(画像:3,115KB)
海(うみ)での漁(りょう)
夏(なつ)。水子ムラ下(した)の海(うみ)に丸木舟(まるきぶね)でお父(とう)さんたちが漁(りょう)にでます。シカの骨(ほね)をけずって作(つく)った、モリで魚(さかな)を突(つ)きます。この日(ひ)はクロダイとスズキが岸(きし)に近(ちか)づきたくさんとれました。草(くさ)を編(あ)んで作(つく)った網(あみ)を利用(りよう)しての漁(りょう)もおこないました。潜(もぐ)って突(つ)くこともありました。モリとカヤはこんなお父(とう)さんたちをとてもたくましく感(かん)じました。


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(き)の実(み)ひろい
秋(あき)になりました。空(そら)はどこまでも青(あお)く、すみきっています。水子ムラも見渡(みわた)すかぎりの紅葉(こうよう)で流(なが)れる風(かぜ)がここち良(よ)く感(かん)じられます。クリ・クルミ・ドングリ類(るい)がたくさんとれました。保存(ほぞん)できるので冬(ふゆ)の貴重(きちょう)な食料(しょくりょう)になります。縄文時代(じょうもんじだい)の主食(しゅしょく)です。

ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。狩りのようす(画像:3,391KB)
(か)りのようす
冬(ふゆ)のある日(ひ)の夕方(ゆうがた)、真っ赤(まっか)に燃(も)えるような夕焼(ゆうやけ)け空(そら)です。水子ムラからも富士山(ふじさん)がくっきり見(み)えます。明日(あす)は絶好(ぜっこう)の狩(か)りの日(ひ)です。家(いえ)の中(なか)でお父(とう)さんは弓矢(ゆみや)で使(つか)う矢(や)じりをシッカリ矢(や)に固定(こてい)していました。翌朝(よくあさ)、ムラを囲(かこ)む森(もり)の中(なか)に入(はい)っていきました。連(つ)れていった犬(いぬ)がほえました。シカです。男(おとこ)たちがいっせいに矢(や)を放(はな)ちました。シカに近(ちか)づき石(いし)おのや棒(ぼう)でとどめをさします。


ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。土器づくり(画像:2,966KB)
土器(どき)づくり
よく晴(は)れた冬(ふゆ)の日(ひ)です。水子(みずこ)ムラの女(おんな)の人(ひと)たちが集(あつ)まり土器(どき)づくりが始(はじ)まりました。土器(どき)は
1,木(き)の実(み)などの食料(しょくりょう)を保存(ほぞん)しておくためのもの。
2,水(みず)をたくわえておくもの。
3,にたきにつかうもの。
など生活(せいかつ)になくてはならないものでした。縄文時代(じょうもんじだい)の最(もっとも)も大(おお)きな発明(はつめい)でした。

ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。石器づくり(画像:2,933KB)
石器(せっき)づくり
家族(かぞく)が生活(せいかつ)するためには道具(どうぐ)となる石器(せっき)も必要(ひつよう)です。弓矢(ゆみや)の矢(や)じりなどするどい刃物(はもの)に使(つか)う石(いし)には黒曜石(こくようせき)という石が便利(べんり)でした。キラキラ光(ひか)り加工(かこう)しやすい石(いし)なのでどの家族(かぞく)でもほしいものでした。でも水子周辺(みずこしゅうへん)ではこの石(いし)はとれません。いくつもの峠(とうげ)を越(こ)えて黒曜石(こくようせき)の産地(さんち)まで出(で)かけ、海産物(かいさんぶつ)と交換(こうかん)したりしてきました。


ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。家づくり(画像:3,112KB)
(いえ)づくり
水子(みずこ)ムラは海(うみ)を見渡(みわた)せる展望(てんぼう)のいい台地(だいち)の上(うえ)にあります。近(ちか)くにはきれいなわき水(みず)もあるためムラの人々(ひとびと)はここが気(き)に入(い)っていました。中央(ちゅうおう)の広場(ひろば)をとりかこむようにタテ4~5メートル、ヨコ5~8メートル、地面(じめん)を80センチメートルほど掘(ほ)った竪穴住居(たてあなじゅうきょ)を建(た)てました。4~6本(ほん)の柱(はしら)を立(た)て、横木(よこぎ)をわたします。床(ゆか)はよくふみかためられ、奥(おく)には火(ひ)をたく炉(ろ)があります。家(いえ)の出入口(でいりぐち)は南(みなみ)の方(ほう)を向(む)いて冷(つめ)たい風(かぜ)がふきこまないようになっています。冬(ふゆ)でも暖(あたた)かくすごせました。

ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。家族団らん(画像:3,325KB)
家族(かぞく)(だん)らん
モリとカヤはお父(とう)さん・お母(かあ)さんと4人くらしです。夕暮(ゆうぐ)れになると家族(かぞく)そろって食事(しょくじ)です。お母(かあ)さんはいろりの上(うえ)で、お父(とう)さんがとってきた魚(さかな)を焼(や)きます。貝(かい)を土器(どき)で煮(に)ます。お父(とう)さんが大(おお)きな動物(どうぶつ)をしとめた話(はなし)や、石器(せっき)に使(つか)う黒曜石(こくようせき)をとりに遠(とお)くまで行(い)った時(とき)の話(はなし)などお父(とう)さんは自慢(じまん)げに話(はな)します。煙(けむり)が家(いえ)じゅうにたちこめました。お母(かあ)さんは「こうして煙(けむり)がたつおかげで、虫(むし)が家(いえ)に近寄(ちかよ)らなくなるのよ、それに天井(てんじょう)から魚(さかな)や肉(にく)をつりさげていくと、長持(ながも)ちするのよ。」と教(おし)えてくれます。二人(ふたり)は家族(かぞく)で話(はな)す団(だん)らんが大好(だいす)きです。


ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。火おこし(画像:2,981KB)
(ひ)おこし
動物(どうぶつ)は火(ひ)をこわがりますが、人間(にんげん)はたくみに利用(りよう)し、生活(せいかつ)を向上(こうじょう)させてきました。火(ひ)は照明(しょうめい)・調理(ちょうり)・暖房(だんぼう)に不可欠(ふかけつ)です。平(たい)らな板(いた)の上(うえ)で棒(ぼう)をキリのように回転(かいてん)させる「もみぎり」や、ノコギリのようにこする「火(ひ)のこぎり」などの方法(ほうほう)でおこしました。モリとカヤもやってみますがなかなかうまく火(ひ)がおきません。

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死(し)とまじない
水子(みずこ)ムラの人(ひと)が急(きゅう)に亡(な)くなりました。ムラの長老(ちょうろう)が人々(ひとびと)を広場(ひろば)に集(あつ)めました。病気(びょうき)がひろがらないように女性(じょせい)がお祈(いの)りをささげます。死(し)んだ人(ひと)は生(い)きてる人(ひと)にわざわいをおこさないように遺体(いたい)を折(お)り曲(ま)げ、ヒモでグルグルしばりました。悪(わる)い霊(れい)が外(そと)に出(で)ないようにということです。ムラ人(びと)全員(ぜんいん)でお祈(いの)りをして、使(つか)わなくなった古(ふる)い住居(じゅうきょ)にていねいに埋葬(まいそう)しました。


おしまい

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水子貝塚資料館

縄文おとうさんと犬
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