公民館の歴史

鶴瀬公民館 電話049-251-1140

公民館の誕生

 第2次世界大戦後、国民が恒久の平和を愛し、民主主義による新たな国づくり、地域づくりをすすめるために日本独自の社会教育施設である「公民館構想」が国の方針として公にされたのは、1946年(昭和21年)7月に出された文部次官通牒「公民館の設置運営について」であった。その別紙に添えられた「公民館設置運営の要綱」には、公民館は「民主的な社会教育機関」「自治向上の社交機関」「郷土産業振興機関」「民主主義訓練の実習所」「文化交流の場所」「青年層の参加の場所」「郷土振興の基礎を作る場所」としての7つの役割機能をもつことが示された。さらに同年10月には、この文部次官通牒の作成にかかわった当時の文部省社会教育課長寺中作雄が著した解説書的なパンフレット「公民館の建設~新しい町村文化施設~」が発行された。これが「寺中構想」といわれるものである。
 これを機に全国各市町村では、文部行政の主導のもとに、公民館施設の建設や公民館活動が始まった。文部省統計によると、公民館構想が公になった翌年には、全国の市町村の約19%(市町村数10,504の内、設置団体数2,016)に公民館が設置され、49年(昭和24年)9月には設置率が約40%に達した。(「社会教育10年のあゆみ」文部省昭和34年発行から)
 入間地区では、昭和22年(1947年)2月に川越公民館(川越市)、5月に勝呂公民館(坂戸市)、10月に山口公民館(所沢市)11月に入間川公民館(狭山市)が設置され早い段階から公民館活動が展開された。昭和23年(1948年)の記録によると、当時埼玉県の町村数320に対し、100館が設置され35%の設置率であった。

社会教育法にみる公民館

 公民館が全国の市町村に設置されていくなかで、社会教育を推進するための国や地方公共団体の任務を定めた社会教育法が1949年(昭和24年)に制定された。同法は、憲法、教育基本法に即したものであり、社会教育とは第2条に、「学校の教育課程として行われる教育活動を除き、青少年や成人に対して行われる体育・レクリエーションを含む組織的な教育活動」と定義している。このような活動をすすめる国及び地方公共団体は、第3条で「(中略)社会教育の奨励に必要な施設の設置、集会の開催、資料の作製、頒布その他の方法により、すべての国民があらゆる機会あらゆる場所を利用して、自ら実際生活に即する文化的教養を高め得るような環境を醸成するよう努めなければならない」と規定している。
 社会教育法は条文の約4割を公民館に関する条文が占め「公民館法」ともいわれる。第20条には、公民館の目的を「市町村その他の一定区域の住民のために、実際生活に即する教育、学術及び文化に関する各種の事業を行い、もって住民の教養の向上、健康増進、情操の純化を図り、生活文化の振興と社会福祉の増進に寄与すること」と規定し、公民館の地域配置の原則を謳っている。また第21条で公民館は、市町村がその責任において設置すること(市町村主義)、第22条には教育機関である公民館の教育機能として6分野の事業をあげ、さらに第23条では公民館自身が行ってはならないこと(営利目的の事業及び援助、特定政党の利害に関する事業及び特定の候補者への支持、特定の宗教、教団、宗派への支持)および国は公民館の設置、運営の基準を定めることや都道府県教育委員会は、その基準に即した指導や助言、援助を行うことが示されている。 また、公民館運営に住民の意思を反映させながら住民自治を育むための住民参加システムとして、第29条に館長の諮問機関である公民館運営審議会の設置が規定されている。

富士見村地域公民館設置条例と初期公民館活動

初代水谷公民館 昭和32年4月水谷小学校校舎内

 「戦争が終わり、兵隊にとられていた青年たちが村に帰ってきた。青年たちは、軍国主義を否定し文化国家を目指そうとする風潮と、農村の民主化の息吹きの中で、新しい動きを始めた。」(富士見のあゆみ)昭和21年(1946年)「青年に希望と自信を持たせよう」を合言葉に鶴瀬青年会が結成、続いて同じ年に水谷青年会、南畑青年会が発足した。青年たちは、弁論大会や運動会、農産物品評会、素人芸能会、講演会など多彩な活動を繰り広げた。また、「夜学」を開いて自主的に学ぶ活動も始まった。
 青年団よりやや遅れて昭和26年に鶴瀬婦人会、27年南畑婦人会、29年水谷婦人会が結成された。活動の中心は、衣食住の改善や冠婚葬祭の簡素化などの生活改善活動に置かれ、やがて婦人学級開設へと進んでいった。
 町村合併促進法が昭和28年(1953年)、新市町村建設促進法が昭和31年(1956年)にそれぞれ施行され、全国の市町村が3分の1となった。これが「昭和の合併」である。富士見市もこの動きの例外ではなかった。
 昭和31年(1956年)9月、鶴瀬村、南畑村、水谷村が合併し富士見村が誕生した。その翌年の昭和32年(1957年)7月議会に於いて、富士見村地域公民館設置条例が可決し、その年の4月適用とされ、鶴瀬公民館、南畑公民館、水谷公民館が設置された。
 それぞれの公民館は、小学校を館として看板は学校と並列にした。館長には地元の有識者、公民館主事は学校長、書記は教頭という体制であった。この頃の公民館は、専有する館がないので青空公民館、看板公民館と呼ばれた。

公民館の基盤整備と社会教育活動の進展

昭和39年当時の鶴瀬駅の様子

 昭和34年(1959年)、道路等の環境整備が急がれていたにもかかわらず、公民館施設の建設へ向けて国からの補助金を優先的に申請し、その結果、文化会館(鶴瀬公民館)の誕生につながった。補助金交付の手続き上、文化会館として設立されたが、関係者は公民館というからには学習する部屋や相談する部屋の必要性を要望した。これを契機に南畑地域、水谷地域に公民館建設の要望と気運が盛り上がり、昭和38年(1963年)に南畑公民館、昭和41年(1966年)に水谷公民館が開館し、その後、昭和45年(1970年)に鶴瀬西公民館、昭和51年(1976年)に水谷東公民館が開館した。こうした公民館の設置に共通する点は、それぞれの地域住民の強い要望が背景になっていたことである。
 昭和39年(1964年)、当時の社会教育先進地であった福岡町(現ふじみ野市)からの大同博元教育長の就任は、その後の富士見の社会教育に大きな影響を与えた。「学校教育と社会教育は車の両輪」「教育は人なり」のスローガンの下、社会教育主事有資格者の採用を行い、各公民館へ有資格者の職員を配置し公民館活動の充実を図った。人間尊重都市宣言、社会教育だよりの刊行、文化協会の発足、ランドセル廃止と教育正常化の推進など先進的な施策を次々と実施に移した。この社会教育重視の方向は、その後の教育行政の基盤となった。

都市型社会教育施設としての公民館の充実

昭和51年各公民館の高齢者学級の様子

 昭和47年(1972年)の市制施行後、その翌年の昭和48年(1973年)に各館兼務であった館長を専任の常勤とし、さらに、昭和51年(1976年)に富士見市地域公民館条例改正により、「専門的教育職員」の項を盛り込み、昭和52年(1977年)に「社会教育機関の館長・副館長は原則として専門的教育職員をもって充てる」「公民館主事は、社会教育主事又は社会教育主事補をもって充てる」などの社会教育機関組織規定が制定され、教育委員会独自の公民館主事採用試験を実施し、公民館に複数の専門職員配置が進み、県内でも数少ない制度として評価された。

第22回社会教育研究全国集会の様子

 また、昭和49年(1974年)、社会教育関係団体補助金制度の廃止と公民館使用料無料化条例が可決された。これはノーサポート・ノーコントロールの社会教育の原則に基づき、いつでも誰もが自由に社会教育活動を行える制度化として県内でも先駆的なものであった。
 近隣市町村の公民館施設が近代化される中で、富士見市に於いても昭和55年(1980年)昭和56年(1981年)にわたり、鶴瀬・水谷・鶴瀬西・水谷東・南畑公民館が新築され施設が飛躍的に充実した。この施設の近代化が新たな利用者層を生み出し、富士見市の公民館活動は新たな転機を迎える。こうした公民館体制の整備が進むなかで、昭和57年社会教育研究全国集会が富士見市教育ゾーンで開催され、全国から富士見市の公民館に注目が集まった。
 公民館の基盤整備が進む中で、今日に繋がる多様な公民館事業が展開された。昭和49年(1974年)子どもフェスティバル、昭和51年(1976年)こうれい大学、昭和53年(1978年)市民大学、昭和56年(1980年)障害者青年学級、市民美術展、昭和62年(1987年)教育・福祉・保健・医療を考えるシンポジウム(現在の地域・自治シンポジウム)、昭和62年(1987年)ピースフェスティバルが全市事業として実施された。
 また、各地域公民館では昭和50年(1975年)公民館だよりの発行、昭和51年(1976年)高齢者学級、昭和56年(1981年)公民館まつり<公民館文化祭、ふるさと祭り>、子育て教室、子ども対象事業の他に、地域づくり・まちづくり学習<水谷の街づくりを考える集い、水谷東地域白書の発行等>など地域に根ざした公民館事業が広がり、地域課題・生活課題を重視する公民館事業の方向性が確立していった。
 公民館運営への市民参加も積極的に取り組まれた。公民館運営審議会は、昭和47年(1971年)「将来の公民館体制について」、昭和48年(1972年)「市民の融和と公民館活動」、昭和54年(1979年)「富士見市における公民館体制の確立について」、昭和63年(1988年)「富士見市公民館の事業活動について」答申し公民館運営に反映させた。また、利用者層の広がりの中で各公民館では利用者懇談会を開催し、利用者市民の要望を取り入れてきた。

新たな時代と公民館

市民大学史跡探訪の様子

 平成13年(2001年)富士見市生涯学習基本計画が策定され、富士見の社会教育、公民館も新たな時代に入った。計画に先立ち平成11年(1999年)「生涯学習時代に対応した公民館活動のあり方」が館長・職員によりまとめられた。この中であらためて生涯学習における個人の学び以上に、公民館の学びの公共性と、「社会を創る学び」の重要性の再確認を行い、「地域の学びの核としての公民館」のあり方について整理した。また、「市民主体・市民参画型公民館運営」にむけ市民活動支援型公民館と新たな公民館職員の役割を確認した。
 平成12年(2000年)「生涯学習計画に向けての提案」を公民館運営審議会が提出し、平成13年(2001年)第15回地域・自治シンポジウムでは、「富士見市の生涯学習と公民館の未来」をテーマに準備段階からワークショップを実施し「私たち市民が提案する21世紀の富士見の公民館像」をまとめ提案した。このように生涯学習と公民館の関係について考える機会が多様に広がった。国・地方の財政状況が益々厳しくなってくる中で、行政改革が強く推し進められ富士見市も例外なく行政事務の見直しが進められた。
 平成14年(2002年)、「ふじみ野交流センター」が市長部局の施設として開館し、その後、区画整理事業の進展に伴い鶴瀬西公民館の建替え問題が浮上し、当初、教育委員会の社会教育施設として計画されていたが、結果として平成17年9月に公民館は廃止となり、同年11月に市長部局の生涯学習施設「鶴瀬西交流センター」として開館した。これにより、市内には公民館、交流センター、コミュニティーセンターという3つの種類の施設が存在することになり、その位置づけや関係性について課題となってきている。
 また、平成17年(2005年)地域公民館条例が改正され、使用料が原則有料化となった。これは「(市の)自主財源確保が困難な状況を踏まえ、受益者負担の原則から、公共施設の使用料金の見直しを強く求める」という市議会の決議を受け、平成16年(2004年)12月の定例市議会で条例が可決し実施となったものである。
 近年、地域における少子高齢化をはじめ様々な地域課題が噴出する中で、公民館も新たな模索が始められてきた。公民館運営審議会は、平成16年(2004年)「公民館利用団体のあり方と公民館のかかわり」、平成18年(2006年)「これからの公民館のあり方~少子高齢化時代の地域課題とまちづくり」をそれぞれまとめ問題提起した。

PCクラブの様子

 公民館事業の新たな展開としては、平成11年(1999年)、保健・福祉・公民館・市民が協働して介護予防事業に取り組み、その後、水谷東公民館、鶴瀬公民館に介護予防施設を設置し虚弱・中途障がいを持つ高齢者の居場所づくりや元気高齢者だけでない文化・学習活動が定着しつつある。
 子育てサロンは、平成12年(2000年)鶴瀬公民館で始まり、その後、各公民館でも取り組まれ、市民スタッフの協力を得ながら新たな子育ての居場所づくりとなってきた。また、学校週5日制対応事業の展開をはじめ、平成17年(2005年)国の子どもの居場所作り施策の具体化として、地域子ども教室を教育委員会の主導で始まり、公民館も事業協力を進めた。
 平成13年(2000年)、国のIT事業の全国展開を受けて、富士見市でも公民館を中心にIT講習会を実施し、その後、受講者やボランティアによりPCクラブが誕生し、現在では各公民館(南畑公民館を除く)で恒常的にパソコン相談室が開かれている。市民大学は平成18年(2006年)、市民大学推進市民の会へ事業委託され、市民スタッフによる企画・準備・運営を行い市民主導による大学開設になってきている。
 平成22年(2010年)6月、公民館運営審議会答申「市民主体の社会教育・生涯学習を振興する中核施設であるための、これからの公民館の役割・機能について~まちづくり支援型公民館をめざして~」が出され、これからの富士見の公民館の新たな方向性が示された。このように近年の公民館事業は、市民と公民館の協働による新たな学びの公共空間の構築が大きな課題となってきている。また、そうした市民の学びあいの支援を進める公民館職員の新たな専門的力量形成の課題も重要な鍵となっている。この 「まちづくり支援型公民館」を目指すという答申を踏まえて、具体的な取組みとして、南畑・水谷公民館の「公民館企画運営委員会」や、市が市内11小学校区に設置を目指している「地域まちづくり協議会」への支援が各公民館区の実情に応じて取り組まれている。
 平成24年度から市民団体による富士見市初のご当地検定として、NPO法人富士見市民大学が中心となり「郷土富士見検定」がスタートした。
 また、施設維持管理については、平成24年度から順次、耐震補強工事・エレベーター設置工事・給排水管や空調設備等の更新工事が進められている。
 施設提供については、平成28年度から市内各種公共施設を対象とした公共施設予約システムを導入した。
 

『富士見の公民館の沿革』年表(PDF)PDFファイル(230KB)

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